はじめに
今年の初夢で歩んできた道を記録文書としてパソコンの画面に向かっている自分の姿を見た。昨年の中頃、『土の時代』から『風の時代』に流れが変わったそうだ。
昨年の11月、出雲大社へ参拝に行くことにした。元来、出不精の家族なのに、500km以上クルマで移動した自分たちに驚いた。
明け方、稲佐の浜で波の音と潮風を肌に感じたとき、来ることが必然であったと理解した。
ただ、このテーマとはかけ離れるので、多くは語らないことにする。
お願い
さて、話を戻して、『記憶よりも記憶へ_駆動系屋が見てきた世界』を書き始めようと思う。
ただ、秘匿情報、固有名詞、表現してはまずい内容・項目があるので、オブラートに包んだ表現になるのをお許し願いたい。前後から読み解いていただける事を切に願うものである。
次の世代へ
クルマの駆動系という自動車の構成部品の一部を担ってきた。
多くの人々が移動手段として使いやすいよう自動車を改良してきた先人達の想いを引継ぎ、
次の世代に『駆動系のバトン』を渡すことができた。
『駆動系』は、まだまだ進化する余地がある。現役の世代や次の世代が、どんな新しい発想をするのか楽しみである。
違う視点から駆動系を見る機会が訪れた
駆動系の設計を生業としてから、もうすぐ50年を経過しようとしている。
乗用車カテゴリーの駆動系に限定されるが、『一つの自動車メーカーで内部から』と『グローバル部品メーカーで外から』
駆動系部品開発を観察し理解する機会に恵まれた。稀有な駆動系開発人生を送って居ると気づいた。
1つの自動車メーカーで定年を迎えれば、幸せなサラリーマン人生であったと納得出来たと思うが、入社して四半世紀(25年)に起きた大転換期(リコール騒動)で渦中に巻き込まれ、衝動的に外へ飛び出してしまった。何が背中を押したのか?自ら飛び出したのか?ハッキリとわかることは「自己責任」だが、「外から中を見たかった」のが本音であったようだ。
ちょうど、『外国の地で経験を積むと、日本で生活している限り見えていなかった日本の良さが見えるように…』
転職先では、日本にある全ての自動車メーカー及び主力欧米自動車メーカーの駆動系開発関係者と接する機会があり、働いていた自動車メーカーとの『文化の違い』『開発基準の違い』『強度試験標準と判定基準の違い』など、比較理解出来た。多くの駆動系開発関係者が経験出来なかった稀有な立ち位置で定年まで走り抜けた幸せな仕事人生であった。
その後、大陸での教育と新たな生み出しの機会が続いたのだが……。

日本寒地試験にて 沼の氷の状態を偵察に来た

大学ゼミ 卒業論文実験中、2サイクルエンジンの掃気分布

4WDは、A/Tが最適と社内活動し、転職した責任から

転職後、自動車の基礎を再勉強させてくれた愛機
最後に…頭の中の断捨離
さて、ようやく、立ち止まる時が訪れた。何故か?
新しい部品を生み出す苦しみ、善し悪しを自分自身でジャッジ(判定)する苦悩、そして、訪れる歓喜の瞬間。
モノは異なっても、数えきれない繰り返しを重ねてきた…長いミチであった。
人生ゴールは、まだ見えない。まだ、歩いて行かねばならない。
でも、繰り返しの記憶が、頭の中に蓄積し、重くて、だんだんと歩くのが億劫になってきたと感じるこの頃である。
そこで、個人事業主を廃業したタイミングに合わせて、記録として外へ取り出し、頭の中の断捨離をしようと思いついた。
ゴールまで軽やかに歩いて行けるはずである。
発想のプロセスは、人それぞれであるので、当方の発想のプロセスに汎用性は無い。
でも、断捨離した記憶は、読者の参考になって、無駄な時間を浪費せずに歓喜の瞬間に到達するヒントになるかもしれない。
そんな、独りよがりな気持ちで、このブログを始めようと考えた。
さて、自分の記憶に残っている記録を文字として書き起こすことにしよう。