アメリカ車は、JEEPタイプ以外は、日本で売れなくて当たり前
2025年4月『トランプ関税 日米交渉』に関する話題が飛び回っている。当方の基本姿勢は、多くの異なる意見が合って当たり前であり、個人の意見として発言するのは良いが、相手の意見を否定するのは間違っていると思う。トランプ大統領は2025年4月上旬の演説で「トヨタは100万台の自動車をアメリカで販売しているのに、ゼネラルモーターズやフォードの車は日本でほとんど売れていない。」と述べた。
日本で売れていないのは、『日本の文化に合っていない』し、『サイズ』が日本の道に合っていない。バカでかい。
アメリカは、2000年前後にネオンとかGM フィエスタなど、日本の小型車枠に合わせたサイズ感で販売した。でも、販売は思わしくなく、やがて、販売店も含め日本から撤退した。理由は、『貧相な内装と品質』だと思っている。日本車は、小型車でも軽でも、豪華な内装と装備で、日本の消費者の心をつかむ。対して、ネオンやフィエスタは、車体価格は、競合日本車並みだが、標準装備がプラスチック肌かつシボ加工も安っぽい。装備もオプション扱い。競合日本車並みにカスタム仕様として注文すると、結構な高価な車両となってしまう。片や、アメ車好き日本人は存在するが、彼らが好むのは、正にアメリカンマッスルのフルサイズのアメ車である。今でこそ、JEEP(登録商標)タイプのSUVは、町で見かける。中身は、日本車ベースと言うのもあるが…。『トランプも売れるクルマを投入すれば、日本人は購入対象車とするであろう。』これが結論である。
さて、冒頭、アメリカと日本との『サイズが日本の文化に合っていない』と記載したが、会社時代にアメリカ出張していた頃、肌で感じたサイズ感について記録しておこうと思う。
はじめてのアメリカ出張
1990年_アメリカに工場を建設。1990年代に提携先の米国自動車会社製造のパワープラントを搭載しアメリカ工場で車両製造する計画が決定した。自社およびその自動車車のブランド名でアメリカ国内販売する。開発車両にアメリカ製パワープラントを搭載する。自社開発基準に合致する否かを判断する。エンジン設計と駆動系設計から窓口が選抜された。当駆動系関係の窓口は当方となった。先方との会議は、交互に1日本とアメリカで開催された。とうとう、生産車開発で海外出張することになり、3ヶ月ごと5回のアメリカ出張を経験した。成田からデトロイト直行NORTH WEST便で移動した。はじめてのアメリカ、合同会議チームの移動、デトロイト空港で現地駐在員と合流した。クルマで飛行場ターミナルからフリーウェイへ向かう。今まで見たことのない景色が目の前に広がる。果てしなく遠くまで平坦な草原。ところどころに高い鉄塔が立つ。横に張ったワイヤーに、ゆらゆらと信号機がぶら下がって揺れている。『なんか変な信号だなあ~』

JEEP (ミニカーコレクション)
記念すべき、第1回の打合せ開催
翌日、駐在員事務所へ顔を出し、提携先の米国自動車会社を訪問する。記念すべき第1回の打合せは、Highland Parkにある本社内で開催された。
駐車場に着き、目に入ったのは、アメリカの映画(Back to the Future)で観たような歴史ある古い建物である。200年前に自動車を作り始めた。建物が古くて当たり前である。
思ったよりも低い天井の部屋に入り、全体会議を始める。両社のメンバの紹介など、挨拶が進んでいく。
ひと通りの導入イベントが終わり、各グループに別れ、個別の打合せに入った。全体会議の部屋から薄暗い廊下を歩き、何かの製造ラインが置かれた工場に入る。
右手の壁に、トルネードシェルター(Tornado Shelter)とペンキで書かれている。 竜巻模様と駆け込む人の絵もペイントされていた。でも、トイレなのだ。工場の大扉から向かいの建屋に入り、階段をのぼりドアを開ける。窓は無い。テーブルと椅子、ホワイトボードが置かれた小さな会議室である。
カウンターパートナーのマネージャーが2名。マニュアルトランスミッション担当とオートマチックトランスミッション担当。 こちらは、当方と駐在員。彼は、トランスミッション設計から派遣されていて、初めて顔を合わせた。通訳担当の強い味方である。

DMC (ミニカーコレクション)
タグチ・メソッドとは?
まず、マニュアルトランスミッションから開始。事前に送っていた質問事項の回答をもらうことからスタートした。質問別に回答書を書面で準備していた。一件ごとに、説明を聞き、質疑応答をする。回答を口頭で聞くが、会議後、書面で回答書を提出願う。
会議の中で、奇妙な言葉が飛び出した。
試験個数の質問に対する回答の中で出てきた。 『Taguchi Method』
『タグチ?』 『日本人の名前のようですが、タグチってなんですか?』
すると、先方のマネージャーは、驚いた顔をして、『日本人なのに、田口教授を知らないのか?』と答えた。
有名な実験計画法だそうだ。 正直、知らなかった。
会社の試験標準には、試験条件の中に、判定に必要な試験個数が明記されている。各自動車会社は、同時に試験標準を持っている。目標(GOAL)は同じでも、各社、独自のアプローチがある。運よく、外資系転職先では、チーフエンジニアとして、日本の全自動車会社と欧米の自動車会社が顧客だったので、各社の試験標準を観る貴重な機会が得られた。秘匿事項になるので、詳細を残すことはできない。しかし、各社の歴史の積み重ねが作り上げた市場実績と開発試験実績から設定された試験条件と判定基準であることは、理解できた。それぞれの会社の文化が創り上げた素晴らしい内容であることは、記録として残しておこう。
アメリカンドリームをむしばむ現実…
初日の打合せが早く終わり、駐在員がエンジンチームの打合せに行き、一人でロビーで待っていた。手持無沙汰なので、ロビー横のドアから来客用駐車場へ出てみた。駐車場のフェンス越しに車が行きかうフリーウェイが見える。退社時間だろう、多くの車である。視線を左に向ける。フェンス越しの町道の反対側にもフェンスがあり、古ぼけた板壁のペンキが剥げた家がいくつも並んでいる。『古き良きアメリカン・ドリームかな?』 なんて、心の中でほくそ笑んでいた。
『でも、人が居ないのね~』
古い家々を見ながら、ドアに向かっていた。ドアから駐在員が飛び出してきた。
『ビーバーさん、こんなところに居たら危険です!なんで、一人で外に出たのです!』

伝統的なアメリカンハウス(築100年)
知らないってことは、危険がみえていないこと
大声で怒られた。
『なんで?』
『この地区は、危険です。白人を追い出して黒人が多く住んでいるのです。襲われたらどうするのですか?』
そんな危険地帯であった。デトロイトは、中心街から放射線状に黒人住居に置き換わっていた。白人は、シティーセンターから公郊外へ郊外へ郊外へと追いやられていた。まさに、ラストベルト (Rust Belt)。斜陽産業地帯である。
アメリカは、平和ボケの日本人に、びっくりさせる現実を目の前に突きつけた。それまで、理解していた『自由』の固定観念がぐらぐらと揺らいだのを記憶している。駐在員は、当方の平和ボケの意識を変えようと、夕食後、デトロイトのシティーセンターへ車で連れ出した。なんとなく、暗い都市中心街、歩いている人は少ない。車は、デトロイトタイガースの球場外周を走る。明るいサーチライトと観客の歓声が聞こえる。 『なんだ、平和じゃん』と思った途端に、運転手から『ドアロックを確実に閉めてください。閉まっているのを確認してください!』と注意が飛んだ。車は、真っ暗な地域に入った。工場地帯のようだ。 真っ暗tレンガ倉庫が両側に続く。 周りは真っ暗に近い。薄暗い街燈がぽつぽつ建っている。 明るいのは信号機の青赤黄のライトである。 赤信号で停まった。倉庫の真っ暗な大扉付近から見つめられているような気がした。目を凝らすと、数人の人が居た。こちらを凝視しているような気になり、血の気が引いた。目が暗闇に慣れると、あちこちに人が居るのを発見した。車は、広い道路上で、Uターンして、加速しながら、走り去った。目の前にデトロイトタイガースの球場ライトが近づいてきた時、ホッとしたのを記憶している。
『ビーバーさん、分かりましたか?これが、デトロイトの現実です。』
駐在員は、郊外に住み、シティーセンターへは、昼間しか出かけないとのこと。移民国家であり、かつ、多くの小国(州)の集合体であるアメリカは、人種も多く、英語を話せない移民も多いそうだ。 アメリカ人が自己を守る方法は、『法を守ること』に限るそうだ。 Outlawの反対て法を順守すること。 滞在中に驚いたのは、ATMでお金を引き出す場面。ATM機のあるボックスで引き出ししている人の真後ろに立つのではなく、 ボックスの自動ドアから数メートル離れている舗装路面に引かれた白線のところから列を作っている。 もし、ボックスの中に入ると、撃ち殺されても文句は言われないそうだ。 自分の身は自分で守る。護身用の銃がスーパーマーケットで販売されているのも見学したが、『正しい自由の姿なのか?』 その時は、そう思った。
でも、今の日本。この出張時点(1990年代)に比べて、安心して夜道を歩けなくなってきた。 これがアメリカがもたらした近代化なのか? はなはだ、疑問である。