アメリカ人の文化を垣間見る… 金曜日の午後
思えば、デトロイトという環境が作り上げた文化だったのかと思うが、日本の社会人との違いに戸惑ったアメリカ出張であった。
最初の出張最終日。金曜日の早朝であった。宿泊部屋の窓外が赤く光っているのに気づいた。窓に近づき、外を見ると、眼下にあるフリーウェイが渋滞している。赤い光は、渋滞でブレーキを踏んでいるからである。前日の会議終了時、『翌朝は、6時半から会議を開始します。』と伝えられていた。ゲスト駐車場に着くと、多くの従業員が従業員駐車場から建物の中へ吸い込まれていた。会議室の階へあがると、廊下に人があふれている。人々の視線の先に机が並べられていて、コーヒーやドーナツを販売していた。でかいマイマグカップとドーナツを両手にもち、人々は廊下の両側にある事務所へと流れていく。朝食のようだ。我々も、会議室に入る。カウンターパートナーがドーナツを机の中央に積み上げた。『食べながら会議を進めましょう』、前日まで厳しい顔つきだったパートナーが、今朝はにこやかな顔付きで話してくる。 『Working Lunch』ならぬ『Working Breakfast』とでも呼ぼうかな?
昼食と休憩時間が終わり午後3時になったときのことである。突然、カウンターパートナーが、
『週末なので、帰ります。この会議室は午後5時まで予約していますので、使ってください。では、また、来月、日本でお会いしましょう。』と、言って、会議室のドアから出ていった。残された駐在員と自分。唖然としたが駐在員は涼しい顔である。
『週末は、フレックスタイム制を使い、早朝に来て定時間業務をこなして帰ります。アメリカ人には常識の行動です半休を取得して昼前に帰る人も居ますよ。早く帰って、子供とスポーツをしたり、家の芝刈りや壁のペンキ塗りをします。デトロイトは、陽が沈むのが午後8時くらいですから時間は有効に使えます。家族との時間を大切にするのがアメリカ人のようです。』
『そうか、デトロイトは緯度が高いのね』
納得である。フレックスタイムを知ったのもこの時であった。アメリカの働き方改革は、日本よりも優れていた。

加州_LA出張時画像(デフ音実車評価)
会社組織の違い…管理職と専門職
この米国自動車会社は、プラットフォーム別に事業部を設置していた。両方に共通しているパワープラントは、マニュアルトランスミッションを小型乗用車事業部に、オートマチックトランスミッションは、上級乗用車事業部に置いていた。職制のある管理職群と 職制の無い専門職群があった。どちらも、等級があり、給料体系もあるが、比較しても遜色がない。技術を極めたいエンジニアは専門職を選択する。重役級の専門職もあった。何回目だったか、出張前に駆動系技術部長からあるタスクを依頼され渡米した。部長がまとめた技術資料をある専門職に手渡して欲しいというタスクであった。会議の合間に、事務所棟内を歩いて、その方の居場所を訪問した。階段下の納戸のような狭い空間に、大きなモニターとキーボードが置かれた机と本箱。机の空間には、多くの書類や資料が所狭しと積み上げられていた。白髪の眼鏡をかけた優しい顔のおじいさんが座っていた。来訪目的を告げて、部長の資料を手渡した。おじいさんからは、お礼と資料の入った封筒を手渡された。『部長に手渡して欲しい』との言葉を添えて。持参した封筒よりも重い。会議室にもどった。駐在員から、『あのおじいさんは、オートマチックトランスミッションの権威である。今、部長との間で、フル電子制御オートマチックトランスミッションの疑問点に対して議論をしているのだ。そして、重役待遇の高位役員である。』
純粋に技術を追求できる立場が、欧米には存在する。転職先の外資駆動系会社には、基礎研究部門があり、飄々とした研究員が在籍していた。彼らが、新しい技術やデバイスを発明していた。やがて、その基礎研究組織を廃止してから、その会社は徐々に衰退していき、投資会社に買収されていった。

加州_LA出張時画像(デフ音実車評価)

加州_LA出張時画像(デフ音実車評価) サンタモニカ海岸_アメリカ軍演習地 戦車が走っていた