先人の残した英知の塊…それは図面である
専門書を熟読しても、世に出ている製品を超える設計を描き上げることなど新人には高い壁である。そんな経験値の低い新人がよりどころにするのは、管理されている自社の生産図面と計画図である。
自動車会社で駆動系設計担当としての職歴を1975年夏からスタートした若き自分は、先輩の手伝いと製図技術スキル向上に明け暮れていた。入社した自動車会社では、1953年に警察予備隊が『73式小型トラック』として採用されたアメリカ製オフロード車(JEEP®)をノックダウン生産していた。
その車両は、ウィリス社製の全部品を使って組み立てるコンプリートノックダウン生産であり、最初のモデルは左ハンドルであった。やがて、右ハンドルタイプに変更、1954年に国産エンジンが搭載される。さらに、構成部品は、徐々に国産化されていく。先輩エンジニアが写し描いたJEEP®原本図面は、厳重に保管されていた。

最初のお仕事
1976年4月に登用論文をパスし、晴れて正式エンジニアと認定された入社2年目のこと、上司から『JEEP®駆動系部品をインチからミリへ全面見なおしせよ!』との大きな課題(仕事)が課せられた。オリジナルのインチ図面を新たにミリ寸法として形状見直した図面を作成し発行するのが当方のタスクである。はじめての大仕事である。まず、ジアゾ式複写でコピーされた第二原紙を、さらにジアゾ式複写した原紙を準備することから仕事がスタートする。この第二原紙が新図原紙となる。『第三原紙では?』とツッコミをいれたくなる。この第三原紙を臭い修正液で消して、鉛筆で新しい形状と寸法と付け加え、新部番として発行する。修正液は、鼻を衝く衝撃臭であり、手に付着するとやっかいであった。今では、見られない。
アメリカは、なぜ、メートル法ではないのか?
当方が入社した1975年、車軸の図面を見ると、スプラインもインチサイズ、ウィリス社の図面をフルコピーしていたので、図面は、インチ寸法とミリ寸法が併記されていた。なんと、ミリ寸法は小数点下4桁まで表記されていた。1.456インチは、ミリに換算すると、36.9824mmとなり、小数点が1桁増える。当時の図面上、寸法はインチが主、ミリ寸法が併記されていた。なんと、小数点下4桁まで図面表記されていた。先輩設計者の苦労が偲ばれる。設計者の頭の中では、嵌め合い基準(例:H7/h7 嵌め合い0~0.050)で小数点下3桁が限界設計閾値と決められている。これは、世界基準である。

この嵌め合い基準をインチからミリに変換すると 小数点以下4桁に広がる場合が出てくる。先輩設計者は、計算された小数点4桁を3桁へ四捨五入することをやめた。当時の先輩の頭の中を覗き見ることは不可能であるが、オリジナルのアメリカ人設計者の意志を尊重したからであろうと当方は思う。敬う心は、日本人の美徳である。手書きされた数字を眺めていると、当時の苦悩が読み取れた。当方が、手書きの図面が好きな理由の一つは、手書き図面(特に手書きされた現本)から苦労した箇所が読み取れるからである。さて、なぜ、アメリカはポンドヤード法にこだわるのか?いろいろ調べてみたが、フランスが設定し230年後に世界を統一したメートル法を使っていないのは、『単位系の基準を握りたい』との『意地』だけのようだ。 最近のアメリカを見ていると、『意地』と『自分勝手な判断基準』で、自分たちの力を見誤っているように見える。今や『風の時代』に入り、世界を引っ張ってきた白人社会の時代は終焉を迎えている。 世界の警察を辞める選択をした以降、アメリカの力は衰え始めた。たかだか、400年程度の歴史しかない国が、世界を引っ張るなどおこがましいのであろう。江戸時代の終焉にやってきたペルリ提督は、アメリカ海軍と言っても、海賊と当方は思っている。当時の江戸時代、日本人の半分の人口しか住んでいなかったアメリカに屈して開国したのは正しかったのか? 所詮、ヨーロッパから追い出された人間が作り上げた国であり、かつ、先住民族を虐殺することで覇権を掴む白人たちの国であった。ヨーロッパから独立したとはいえ、その後、南と北に別れて覇権争い。統一されたと言っても、多くの国が寄せ集まった移民国家の合衆国である。大統領の権限を与え過ぎた結果、水面下で州と国との間でギクシャクしている。