大事な時間を無駄にしないように…自分で決められる自由環境

案の定。ラリーストから『フロントデフをオープンデフで評価したい。』とのリクエストが出てきた。
ランチタイム間近。 エンジニアは、仕事を切り上げ、手をウェスで吹き上げている。
当方は、午後の試験時間に影響させないため、ランチタイムで準備することにした、
日本から送り込んだLSDロック率違いのフロントデフアセンブリの中から、もう使う必要のない高いロック率のデフアセンブリをパネルバン内の作業台で分解した。
デフケースを外し、リングギヤボルトを外し、LSDアセンブリを分解。LSDクラッチ板の組み合わせを変更しオープンデフ状態にし、逆に組み上げていき、フロントデフアセンブリへ組み戻した。
黙々とスパナを手にぎこちなく動いていても、周りの誰も助けてくれない。他のメンバーは思い思いに休憩している。
『そりゃそうだ。4WD駆動系の責任者は、お前だろ!』 
視線が背中を刺しているのは、ひしひしと感じる。でも、冷たい視線ではなく、温かく感じたのは気のせいであろうか?
スコットランドの冷たい空気の中で、黒い針葉樹林を通過してくる風が耳を刺す。
担当者時代。相談する上司も居ない遠隔地。駆動系の専門家は自分だけ。そんな環境の中、
『自分の責任で、目標を決め、実行し、要求されたモノを提出する。』 
そこから逃避することもできない異国の地。この時の経験は、自分の精神力を強くしたと思っている。
今、振り返っても、大変に良い経験を与えてくれたまわりの環境に感謝したい。

スコットランドのホワイトエルクリバーと呼んでいる。鮭も遡上する。

スコットランドのホワイト・エル・リバーと呼んでいる綺麗な川
鮭も遡上する。

手の油汚れは、問題解決につながるラッキーアイテム…

『終わった!』 
手についた油汚れをウェスで拭いながら、キャンピングトレーラに乗りこんだ。キッチン台にサンドウィッチがおいてあった。
油汚れを残こしたまま、手でつまんで食べた。いつも、慣れているし~。なぜか、会社の車両実験棟ピットから見た綺麗な夕焼けを思い出す。ある市場不具合の異音解決策が見いだせず壁にぶつかっていたときの話し。
『もうダメだぁ~。』 週末の残業休憩の時だった。 試験車を置いたピット穴に座り込み、実験部のメンバとパンを食べていた。真っ黒な油で汚れた手を洗う元気もなく、油だらけの手でパンを食べた。にがい油の味がした。ヘルメットに紅い夕陽が当たっていた。目をあげて、夕陽を見つめると、まだ、眩しくて目を細めた。まさにその時だった。頭に新しいアイデアが電光石火で浮かんだ。 『この方法なら解決できるかも!』 メンバに話すと、彼の顔が明るくなった。すぐに、手作りの部品を作り、試験車に付けて評価。 なんと、不具合の異音は解消した。かなりの時間をかけて多くの解決案をトライしたが、対策効果は微妙であった。夕陽が教えてくれた解決策は、完璧であった。『油汚れとパンは、ラッキーアイテムだ』と勝手に思っている。

『お~できたか?』 ラリー車の神様が声を掛けてきた。
『はい!』 ニコッと笑って返した。なんか、清々しい気持ちであったのを覚えている。
自分の仕事をやり切ったという達成感に包まれていたからだと思う。

予想どおりの評価…

ランチタイム明け、エンジニアが素早くクルマの下にもぐり、フロントデフアセンブリを交換した。準備が終わり評価に入る。心配で、ラリーストに声をかけた。
『設計担当の自分が組み替えた部品を搭載しました。走り出しは、様子を見ながらゆっくり走ってください。』
彼は笑いながら、『信用しているから大丈夫!』 と言い残し、全開加速していった。
●フロントデフをオープンにした評価
コーナー手前の減速時進入姿勢の決めやすさが改善された。直進性も良くなった。現状では、フロントデフ仕様は、オープンが良い。
評価結果よりも、自分が嬉しかったことは、設計者がいじった部品なのに、不安を微塵も見せずに ラリーストが信用して限界で評価してくれたことである。

ラリーテスト。雨でぬかるんだ広場。黄色いペンギンとして立つ

雨でぬかるんだ広場。黄色いペンギンとして立つ

次のリクエストに答える…

次にラリーストからのリクエストは、
『センターデフのLSDロック率中間で評価したい』
リクエスト部品を組み込んだトランスファーは持っている。でも、この広場で交換するのは難しい。下回りをあげて、ウマ(リジッドラック)の高さよりも高い空間が欲しい。エンジニアの出した答え。 『農家の納屋を借りよう』
試験車の前後をFR2WDラリー車とパネルバンで挟んで、丘を下り、川沿いのくねくね道を猛烈なスピードで進んでいく。なんとなく、ウキウキ気分。ラリーストやモータースポーツ関係者の中に単なるラリー好きな一般人が間違って乗りこんでしまったというシチュエーション。楽しいの一言。
納屋についた。映画『ハリーポッター』に出てくるような村の家。石組みの塀や大きな木。試験車を納屋に入れ、ガレージジャッキで持ち上げ、枕木をかませ、その繰り返しで車両床下にエンジニアが入れるスペースを作り出した。

丘とペンションを結ぶ通勤路。納屋にもつながっている。

丘とペンションを結ぶ通勤路。納屋にもつながっている。

エンジンとトランスミッションを切り離す。藁の上に寝転んだエンジニアが身体でトランスミッション+トランスファーを受け止めて、車両床下から外へ送り出す。
『なんという危険な作業なのか?』 『ラリー実戦現場では当たり前だ!』
後で、トランスミッションを受け止めたエンジニアが誇らしげに話してくれた。取り出したトランスミッションとトランスファーを分離し、評価用トランスファーに付け替える。オイルをもどし、注油口のプラグを締め、締結部のチェック。そして、枕木を取り外し、車両を藁の上に戻す。そして、再び、コンボイで丘の広場へ戻った。

ラリーストによる
  『センターデフのLSDロック率中間の評価』

駆動力の伝達が、『強』よりも悪い。特に登り加速で駆動力抜けが発生する。コーナー進入姿勢の作りやすさは、『中間』の方が良いが、コーナー脱出の加速感は『強』よりも悪い。
長い一日は終わり、黒い森は、薄暗くなってきた。リーダーの『撤収!』の一声、テキパキと片付けに入りペンションへ戻る。
ラリーストが、パネルバンを運転してくれると言い出した。
『みんなが疲れているから』との理由であった。リーダーから、『助手席に座って帰ってくれ』との有難いお言葉。
『やったー!』
有名ラリーストの横で夢のような数分のドライブ。シフトアップもシフトダウンも優しい。ショックが無い。砂利道でも、ギクシャク感がない。あこがれ過ぎてホメすぎか?
アグレッシブな走りで人気のラリースト。普通に運転するときは、ジェントルな操作である。上手い人の運転って、なぜか、安心できるのですよね。

コーナーを抜けるランサー

コーナーを抜けるランサー 1目の1600GSL