感動の後には、気が抜けた時間が流れる…

1986年からは、パリダカラリー車のサポートをすることもなくなった。当方は、乗用車用駆動系担当となり、FF4WD(フルタイム)用駆動系、軽用オンデマンド4WD駆動系の開発に邁進していた。別途、書き留めたい。

競技用車両は1991年から市販車を離れ、パイプフレームの「プロトタイプ(競技専用車体)」に移行する。ここで、FIA(国際自動車連盟)の横暴な動きがあった。いつもの事だと当方は思ったが…。1997年よりT3クラス (プロトタイプ) へのメーカー参戦が禁じられたのだ。会社は、市販車改造クラスに回帰することとなった。

ラリーの文化…日本と欧州との違い

始まりは、砂漠の競技だった。必死にもがきながら灼熱の砂の壁を登っていく。会社が得意とするアフリカを走る耐久ラリーの一つであった。当時、日本のラリーは、未舗装路(林道が主)を走る低速度域競技であった。会社がメーカーとして海外ラリー出場先としてオーストラリア・アフリカ・アジアを選んでいたのは自然であった。
当時、馴染みの薄い欧州でのラリーは、舗装路や整備された未舗装路を走る高速度域競技であった。自動車が生まれ、点から点へ速く走る遊びが、自動車を育てたのは間違いない。『早く点から点へ移動する。機械の馬を』そんな自動車の文化が、パリダカールラリーにも入ってきたのは自然の成り行きであった。

一体、パリダカールラリーに何が起きていたのか?

ティエリー・サビーヌの「私が冒険の扉を示す。 開くのは君だ。 望むなら連れて行こう。」アマチュアが参加するイメージであった。しかし、欧州メーカがラリーに投入してきたのは、勝つための競技専用車であった。外観は、量産車でも、中身はバリバリのレース仕様であった。 平坦な砂漠であれば、時速200km/hを超えて疾走する。

対する我らがラリー車は、空気抵抗は悪い・まっすぐに走らない・最高速度も180km/hそこそこ。 モンスターマシーンに勝つには、秘策が必要である。総合優勝を狙い、無制限改造クラスでの出場を選択した。リジッドアクスルを独立懸架に巻きかえ、フレームからパイプフレームへと変貌させる。空気抵抗を減らし、200km/hも超える量産車らしいのは外観だけとなった。これで対等に戦える。 

クルマの老舗の意地か?競技規則変更は日常茶飯事!

1997年よりT3クラス (プロトタイプ) へのメーカー参戦が禁じられ、市販車改造クラスに回帰することとなった。何のためにプロトタイプを作り上げて戦って来たのか? 競技規則が変わるのは日常茶飯事である。当方は、被害者意識が強いのか、日本車が連続優勝すると、妨害工作のように規則を変えるような気がする。
このニュースを聞いたとき、『来年から、どうするんだろう?』 この時期、SUV車両の駆動系部品のとりまとめをしていた。

捨てる神あれば拾う神あり!

ある日、ラリー車の神様が机の前に立った。本物の神様でなく、ラリーチームには、凄腕のエンジニアが居る。歴代のラリー車を優勝させてきたラリー車の神様、エンジンを組ませたらピカイチのラリーエンジンの神様。もちろん、量産設計にも神様は多数居る。サスペンションの神様、マニュアルトランスミッションの神様などなど…。今回は、ラリー車の神様が机の前に居た。


ラリーの神様 『来年のパリダカは、市販車改造での参戦となった。そのため、リヤサスはリジッドサスから独立懸架に変更が絶対である。どうだ、開発してくれるか?技セ所長には今から説明に行く。サスの〇〇君はOKと言ってくれた。』
ビーバー『もちろん、開発します。ラリー命ですから!』 
やがて、所長から設計部長、課長と正式開発指示が下りてきた。指示が下りてくるまでの時間の間に、構想・計画図まで準備し、正式指示のタイミングで課長に説明した。

独立懸架デフは、FR2WDをリヤ独立懸架化したとき、構想・計画図を引き、量産化した経験があった。そのデフをベースにオフロード4WDのフロントデフとして開発し量産化していた。
リヤ独立懸架デフ用等速ジョイントもサプライヤーと改良した経験もあり、さほど開発のハードルは高くなかった。その頃には、チームメンバも在籍していたので、自分で線を引くことも無かった。

心がムズムズ…悪い虫が騒ぎ出す。

パリダカラリーの出場権を得るために市販化する少量生産車種であるので、比較的新しいアイテムは、プロジェクトチームのOKを得やすい。何か新しいアイテムを入れたくなる。悪い癖が徐々に首を持ち上げてくる。後輪独立懸架だし、走行性能や駆動効率も上げたいし…。少し前にFR2WDスポーティーカーに搭載した『ハイブリッドLSD*』を搭載したいと手を挙げた。
   *LSD Limited Slip Differential  差動制限デフ

駆動系の目玉部品を搭載することによるセールスポイントをプロジェクトチームに提出する作業をしていた時のことである。突然、頭の中に閃いた事があった。

『箔』をつけるため、ラリードライバーに試乗してもらい、評価をもらおう!

広報部の知り合いに問い合わせると、『某港の埋め立て地でパリダカラリードライバーがトレーニングしている。そこへ試乗車を持ち込んだらMさんが乗ってくれるよ。連絡しておいてあげる』

試験車にハイブリッドLSDを搭載し、試験路で走行評価。

いざ、勝負!『箔』はついたか??

現役ラリードライバー(個人で地区戦参戦中)でもある設計チームメンバと共に、ハイブリッドLSDを搭載した試験車を走らせ、某港に着いた。 もうすぐ、春の高校野球が始まる。とある高校の野球チームメンバと同じホテルであった。
冷たい海風が吹きすさぶ埋め立て地に重機で作られた人工的なコース。V溝も台形台地もあり、頂上からは瀬戸内海が見渡せた。
世界的に有名になっていたMさんに試乗してもらった。助手席に乗せてもらい、インプレッションしてもらった。ともかく、運転が上手い。急降坂・V字溝・高速ターン・急発進/急ブレーキ ドリフトなどなど、隣に乗っていても何ら怖くない。
口から出る言葉を一字一句聞き漏らさないように手帳に書き留めていく。
上手いドライバーの運転は怖くない。
本当だ。乗って、怖いと思ったら、そのドライバーは下手と思ってよい。

プロドライバーに試乗してもらった。評価を聞いているところ。

人との出逢い。大事である…

良い評価をいただいた。お礼に、夜、食事に招待した。Mさんと翌年のラリーで優勝するフランス人。いろんな話しができ、有意義な夜であった。その後、Mさんは、技術センターに運転指導などで訪れると当方の席にきて、話してくれるようになった。
Mさん『こんなデフ比のデフができないか?』
Mさん『パリダカでの4WDの4H/4Lの使い分けはこうだ』
もちろん、こちらからも お願いしたことが多かった。
ビーバー『こんな部品があるが、つけて走ってくれないか?』
これは、次期モデルで量産搭載されたカーボンペラの事前実車評価と実績となる。パリダカールラリーでの実績は、重みがあって、社内の説得にも大変に有益であった。
どうやって、自分の思いを社内にPRするのか? 実物PRは、有益である。
『必要は、発明の母』と言うが、モノの発明だけでなく、新しいアプローチも発明のひとつだと感じた一件であった。

大切なことを教えてくれた

人との出逢いは大切であるし、感謝しなければならない。

自分の人生の歩む道と 出逢う多くの人たちの人生の歩む道とは、交差するかもしれないし、平行に進んでいくのかもしれない。
でも、『人との出逢いは、偶然ではなく、必然ではないか?』と この歳になってから理解できるようになった。

何事にも何物に対してもすべてのモノへの感謝する気持ちは大切である。